スタッフの愛護法改正に寄せる想い

動物の愛護及び管理に関する法律
保護という言葉を愛護に変えたのは私達

この長ったらしい名前の法律
この法律をより施行性が高く抑止力の高いものに変えていくのが私達

誰かがやってくれる
そうじゃなくて
私達がやる

アニマルライト
動物達が自分達で守る事が出来ないから
だから
私達が守る

為せば成る、為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬ成りけり

動物愛護法、私は何も知らずに過ごしてきました。
こげんたちゃんと出会い、初めて内容を知り、「何かヘン」と思ったのも最近です。
同じ命を「器物」と始末してしまう法は決して妥当だとは思いません。
その線引きがあるからこそ、「売り買い」が出来てしまう今の日本に恥ずかしく思います。
本当の被害者(動物)こそ守られるべき相手ではないでしょうか?
野良犬猫と飼い犬猫の違いって一体何なのでしょうか?
足りない頭で考えました。
あのこげんたちゃん事件、川崎事件、宇都宮事件の犯人の共通点は人とのコミュニケーションがとれない性格。喜怒哀楽だせない。被害者意識の強さ。親への不信感(?)。またその親自身の子供に対する関心のなさ。
理解に苦しみますが、彼等にとっては何らかのSOSだったのかもしれません。
ほとんどの親が裁判で我が子のしたことに対して「知りませんでした」と言っていました。
今でも虐待をしている人たちにいきなり「動物を大切にしなさい!」と言っても理解できないと思います。
私が印象に残っている言葉は、川崎事件の裁判でのこと、「この子達には自分がいるけど、自分には誰もいない」この発言でした。
動物愛護法に限られたことではなくなるかもしれませんが、現在の日本ではネット、ゲーム、携帯電話などの普及で、人対人のコミュニケーションがとりづらい国になってきていると思います。
私はまず、法改正よりも人対人のコミュニケーションをとるべきではないかと思っています。
また個人個人の知識と意識の改革。これも必要だと思います。
それに伴う法改正、そうあってほしいと切に願います。
虐待をする、過ちを犯す人達全てがこういう人だとは限らないと思いま
すが、人間改革、それは、親、子供、全ての「人間」と名のつく人たちの意識向上が必要だと思っています。
「命」が何故大切か?何故尊いか?なんて考えてみた事もなかったけど、今この時がそれを考えるべき時ではないでしょうか?
それらを知らされなかった人達のための法であって欲しいと思います。
「悪い事をする=牢獄(?)に入れる」では何も解決しないと思います。
アニマルプラネットで見たアメリカでの動物虐待事件。
野生のオコッサムをサッカーボールに見立て、数人の少年が蹴り合っていました。
そのオコッサムは死亡しました。
その少年に与えられた罰は「動物愛護センターでのボランティア」(もち監視つき)でした。
この違いはとっても大きいものだと思います。また簡単なことでもないでしょう。
しかし是非日本でもいきなりこうはいかなくとも意識改革的法を作って欲しいと思います。
ジャンル分けして警察官。
日本はアメリカに弱いと言われていますが、いい所はどんどん真似ていってほしいと思います。
ニューヨークでは軽犯罪の強化をしたところ、重罪が減ったといいます。
日本でも軽犯罪の取締りをもっともっと強化してもらい、重罪を食い止めることが出来るようになって欲しい。
たくさんのところで、いろんなSOSを出している人たちがきっといるはずです。
重罪になる前にその人のSOSに気づいてもらいたい。
その為には、警察官の意識改革も必要になりますが・・・
勿論!警察官だけに頼ってばかりもいられないので我が周りの人達は自ら!
なんて、いろいろ偉そうなことを書いたけど、私の発言は全て私自身に対する発言だと思ってください。

昔は家族や地域が非常に密接な関係にあり、
親や隣り近所の人から 道徳感なるものを子供は教えられた。
家族関係や父権の崩壊、そして隣りに住んでいるのが誰なのか知らないような現在の日本で誰が 子供達に道徳を教えるのか?
一人一人の心に思いやりの気持ちがあれば法律はいらないのかも知れない。
しかし 現在の日本の状況では国が法律という形を取って
国民に正しい道を示さなければならないのではないだろうか?
法律が間違った道へ進みそうになってしまった人達への
心の矯正として 働いてくれる事を祈る。
暮らしやすい社会とは弱者にも優しい社会だと思う。
特に 声も出せず人間のされるがままになってしまっている動物達。
彼等を虐待したり、人間の都合の言いように扱うのは知恵を授かられた人間として、あるまじき行為ではないだろうか?
動物愛護法が再改正される事により動物の命の重さが重要視され、
それが やがては日本国民の心を癒すことに繋がることを願って、再改正を望みます。

私は難しいことは言えないのですが、
本当に必要なのは、法改正ではなくて個人の意識改革だと思います。
法は、単にそれを意識させるためもの。
もし全員が正しく「愛護」を理解していたら、極論ですが法律なんて必要
ないのかもしれません。
飲酒運転が激減したのは、法が厳しくなったからですよね。
それまでも「飲酒運転はいけない」でしたが、「でも、しても大丈夫」と
扱われてきました。
愛護法も同じです。
「してはいけない」「でも、大した罪にならないから大丈夫」では、
法律の意味がありません。してはいけないと意識し、次になぜしてはいけないのかと考える。
それに気づくためにも、法改正が必要なのではないでしょうか。
なぜ動物を虐待してはいけないのか
なぜ金儲けのために繁殖をしてはいけないのか
なぜ金儲けのために動物実験をしてはいけないのか
なぜ虚栄心のために毛皮を買ってはいけないのか
なぜ自己満足のために殺生をしてはいけないのか物事の本質を考え直すきっかけになって欲しいと思います。

まずは「虐待の為の虐待」これは動物にも、そして人間自身へも向けられる可能性のある事です。
荒っぽいゲーム(すみません、ゲームよく分かりません)からの影響などとも言われているようですが、私は近代「死」への接触が薄れてきているからのような気がしてなりません。
「死」は忌むべき事として理路整然と扱われ、屠畜を家庭で殺す事
なく、人間の死にしても何か壁を置いた扱いをされているように感じます。
私にとっても一人っ子で親戚から遠い所で育った為か、身近に人間の「死」と接触した経験がありません。だた、小さい頃から飼っていた動物からその実感を得て育った気がします。
まずは、この「命」と「死」に対するきちんとした理解を子供の頃から熟知させる教育制度を設けて欲しいと思います。
そして、スタッフPさんのおっしゃるように、「命」と「器物」との違いを明確に法律化して欲しいです。
ストレス発散の為に動物を虐待、虐殺するという精神構造を初期のうちに止めるような手立ては、法を厳しくするしかないのかも知れません。
本当は、幼い頃からの経験で理解しているべきなのですが・・。
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そして現在、私は動物を扱って血清を取る会社に勤め、現場を訪れる度に失われていく命を目の当たりにします。
このあたり、みなさんとはある意味逆の立場に身を置いている訳ですが、その命たちを決して無駄にする事なく、未来への糸として研究者の元へ届いて欲しいと思っています。
そして失われた命達が悲しみ、虹の橋を渡れないようなことがあれば、その責は私の身一身に受けて生き、それを背負って死んでいきたいと願っています。
動物を扱う人間はそれくらいの覚悟をもって、決してその命を無駄にする事のないよう心掛けて欲しいと思います。
それには、動物取り扱いについての許可制度などはぜひ取り入れてもらいたいです。
Dearこげんたで目にする前までは、「予算の為の実験」など私には思いもよらない事でした。
実験、もしくは動物由来製剤の許可制度及びその目的を明確にすることは必須だと思います。
それに加え、代替法などの研究費を増やさない限りは実験に使用される動物は無くならないと思います。現在 in vitro(生体外)だけでは不明瞭な実験も、in vivo(生体内)以外での方法を確立しないと、実験は無くなりません。
今後の医薬品の開発全体を阻止するのは難しいのですから、逆に代替法の開発者への待遇を特別にするなどの措置があるといいので
はないでしょうか?
あれ?話がそれてきてしまっているでしょうか?
動物由来製剤及び試薬については、当事者なのですが、対策が思い付きません・・・。
すみません、なんだかずいぶん長くなってしまいました。
しかも、感想文みたいですね。
大体の私の気持なのですが、内容ずれまくりだったらごめんなさい。

とりあえず、まず思ったのは動物虐待に対しての刑が軽すぎる、ということ。
人間と同等、とまではいかなくても少なくともモノより上であるべきなのに、器物損壊罪より軽いのはどんなに考えても納得できません。
また、生体オークション・動物実験などを考えても、あまりにも日本は動物のことを考えなさ過ぎだと思うのです。
自分の子供を育てるにあたっても、今の日本の状況では「命は大事なんだよ」と言っても絵空事に聴こえてしまいかねないと思うのです。
それがひいては幼児・老人・ホームレスといった弱者を対象とした事件へと発展しているような気もします。
動物愛護法を改正することで、子供たちに命の尊さを伝えていけたら、と思います。